石橋みちひろの思い

つながって、ささえあう社会への思い

michhiro_6226日本は、第二次世界大戦後、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」、そして「国際協調主義」を基盤とする現行『日本国憲法』を基に、すべての国民が社会の一員として平和の樹立と社会の発展に貢献し、かつその成長の成果を幅広く分配・共有することを通じて、平等で、公平で、公正な国づくりに努力してきました。

「充実した教育制度」、「長期安定的な雇用制度」、「安心・安全を守る社会保障制度」の三本柱を軸に、誰もが将来への不安なく、夢と希望を持って安心して働き、成長し、暮らしていくことのできる「共に生きる」社会の実現に向けて、みんなで力を尽くして頑張ってきたのです。

 

ところが、1980年代後半のバブル経済とその後の崩壊、さらには1990年代初頭の東西冷戦構造の終焉、急速なグローバル化の進展を契機に、日本は大きな転換期を迎えました。1996年以降の自民党政権、特に2001年以降の小泉政権は、「行財政改革」や「構造改革」の名の下に、日本の社会・経済制度を「市場原理優先の競争型社会」へと転換させ、「ささえあって共に生きる」公助・共助型社会から、「自分の力で何とかする」自助型社会へと国のかたちを変えてきました。

 

 

 

高所得者・大企業に有利な減税、労働法制(労働者保護規制)の緩和、非正規・不安定雇用の拡大、社会保障の切り下げ、教育予算の削減と教育の民営化、大都市・大資本中心の経済成長戦略(地方・中小企業軽視)などは、日本を持続的成長に導くどころか、国内需要の不足による長期のデフレスパイラルに陥れ、経済格差や希望格差を拡大させ、さらには少子化まで加速させて、国民に未来への夢と希望を与えるどころか社会の二極化を進行させてしまいました。

 

その結果、かつて『一億総中流社会』と賞され、先進国の中でも有数の「先進かつ平等な社会」であった日本は、今や米国などに並ぶ「格差・貧困・孤立社会」に変貌したと国際的にも見なされる状態になってしまったのです。

 

日本には今、いつ契約が切れるとも知れない不安定な雇用状態に置かれている労働者が2,000万人前後、1年間一生懸命に働いても年収200万円に届かない労働者が1,000万人以上、親が健康保険料を支払えないために無保険の状態に置かれている子どもたちが5万人前後、子どもに十分な食事を与えられない世帯が16%近くもいると言われています。その中で、自殺者の数が高止まりし、無縁死を迎える人が3万人以上、そして経済的な不安のために結婚できない、子どもを持てない若者が大勢いて少子高齢化が進んでいる−これが、私たちがめざしていた「日本社会のかたち」なのでしょうか?

 

そうではないと、私は思っています。

 

私は、誰もが自分の生き方や働き方に選択肢を持ちつつ、社会の一員として参加・参画し、何かあった時には社会によって守られ、助けられるという安心を基盤に、将来への夢と希望を持って不安なく暮らしていける社会こそが「豊かな社会」であり、私たちのめざすべき「日本社会のかたち」だと信じています。

 

その中心にくるのは、「まっとうな雇用」でなければなりません。現代日本の社会的閉塞感そして経済成長停滞の最大の原因は『雇用の劣化』だと確信しているからこそ、今、政治の最大の役割は、雇用を立て直し、全ての国民に「まっとうな雇用」を保障していくことだという強い決意を持っています。

 

2009年8月の衆議院選挙で、国民が自民党中心の政権から民主党中心の政権への「政権交代」を選択したことは、まさに、そのような国民の願いを表したものだったのだと思います。残念ながら、そして大変申し訳ないことに、民主党政権は国民の期待に十分に応えることができず、2012年12月の衆議院選挙で大敗を喫し、ふたたび野に下りましたが、生活者、勤労者、納税者、そして消費者の立場に立って、誰もが安心して働き、暮らしていくことのできる「共に生きる(共生)社会」をめざすという党是は不変であり、改めて今、その目標に向かって党の再生・再建と、中道リベラル政治の再興を図っていく必要があると考えています。

 

国民に「絶望」や「不安」ではなく「希望」や「安心」を、「差別」や「排除」ではなく「協調」や「包摂」を、「勝者と敗者を分ける弱肉強食型社会」ではなく「誰もが参加・参画できる共存・共生型社会」を創造する−そんな政治をめざしたい、そんな政治をめざして努力する−それが「石橋みちひろ」の政治に賭ける思いです。